陽が長いのでついつい作業に没頭してしまいます。没頭していると、こんな俺でも「大地」とか「地球」とか、もっと言えば「植物の精霊」らしきものの声が聞こえたような気がする時があります。そういうものと繋がっているという感覚。これは何処の世界にだってあることで、ひとつのことをとことん突き詰めて没頭していると、得体の知れない「何か」が見えたり「鍛冶場のばか力」が発揮されたりするもんだ。何事もとことんやってみないと判らない事が多い。
「大地」や「地球」や「植物の精霊」と繋がっているという感覚がある一方、このしがない「小作農ライフ」と政権交代がどう繋がっているのか?遙か海の向こうの「リーマンなんちゃらショック」は俺の草取りにどう影響しているのか?実際問題、政権が変わろうが誰が総理になろうが俺の生活に目立った変化はない。
そんなものに影響されない無縁なところで生きていたい、という想いと、それもどこかで繋がっているから決して無縁ではないのだという想いと、、、。
何処の誰が政治をやろうと僕の生活にはなーんも一切関係ありません、一人のニンゲンが吠えたところでどうにもならん、という人はこの先は読まない方がいいかも。俺はどうにもならんけど、吠えるぞ。
もはや政治が悪いとか政党が悪いとかは通じないと俺は思います。我々、一人一人の心のありようが政治に反映されてるだけで、昨日の麻生も明日の鳩山もずべて我々一人一人の心のありようが反映されてるだけで、ボクやキミの中にある一部だよ、きっと。
ずっーと前からここで何度も書いてるけど、「ボロ雑巾」か「穴の開いた靴下」かみたいな選びようのない貧乏臭い選択肢で、2大政党とかいう聞こえのいい言葉で摩り替えてもダメなんだと思う。どうして似たもの同士のダメなものを二つ並べた中から「まともな方」を選ぼうとするのか?どっちにしたって沈没するのは分かりきってるじゃん。明日のランチに不味いラーメンか不味いパスタどう?って言われたってどっちもまともじゃないんだから食わねーよ。腹壊すだけじゃん。腐ったミカンと腐ったリンゴを並べられてもどっちも食わないっつーの、俺は。なんで、高い税金払ってんのに腐ったミカンか腐ったリンゴに期待すんのかね?わからん。選びようがないからまともな方を選ぶというのは現実的なようで、確信に欠けている。だから何も変わらないのだ。
総理は引退後、農業をやりたいのだと。まっ、人生色々、仕事も色々、好きにしたらいいけど、そもそも「政治でなければならない必然性」など彼の中にはあったのかね?「政治でなければならない必然性」が彼の中にあるのだとしたら、そこに身を焦がして続けるはずだと思うけど。「責任とって辞めろ」というのは、ある意味ああいう方々にとっては最も都合のいい逃げ道なのかもしれないよ。矢面に立たされながらも「死ぬまで続けろ」、と言うほうがいいかもね。どうせ、必然性などないのだから道楽としての農業も飽きたら辞めるに違いないと思うけど。あのね、お米を作ってる農家が「米を作ってるのに、自分達が食っていけないから辞める」と言ってるんだ。そんなアイロニックな話があるか?農業やるんじゃなくて、そういう農家を何とかすることが仕事だろって思うんだけど。お気楽に畑なんぞ耕してないで、コメ農家が米を食って生きていけるように尽力を尽くして続けてくれよ。
自民党もダメ、民主党も??、相次ぐ新党も期待ゼロ?。残る選択は社民党か共産党か?彼らは文句ばかりで政権担当能力などない?能力から言えば自民党も民主党もなかった訳だから、どこも変わらないよ、きっと。消去法で行くといつも全て消去となるが、残る選択肢がないわけではない。政党を選ぶ前に、今一度自分の心のありようを見つめてみれば選択肢はあると思うよ、人それぞれに。
「僕は田舎でユルユルと畑を耕して、地球にやさしく負荷をかけないで自分達もストレスを感じず、自分達が生きていける分だけのんびりやってるので、何処の誰が政治をやろうと僕の生活にはなーんも一切関係ありませんし、かかわりたくありません」という態度が一番スカン。そんな無責任な個人主義が蔓延すると、誰も望まない新種の全体主義に持っていかれるぞ。閉塞的な個人主義が蔓延すると地球にやさしくどころか、必ず地球は破綻する。俺は自分だけの心地よさを掘り下げる閉塞的な個人主義が加速しているように思えてならないのだ。地球にやさしくする前に人にやさしくしろっつーの。人の想いを経由させて想いを循環させることが地球にやさしくすることだと俺は思う。循環型社会ってペットボトルとか再生紙とかの話じゃなくてさ、超せせこましいイデオロギーで分断されてしまった我々ニンゲンの心の循環が先だろって思うのよ。
「戦争に反対する唯一の方法は、それぞれの生活を美しくして、それに執着し続けることである」。誰の言葉かは知らないけど、リクオさんが良くライブで引用する言葉。先の閉塞的な個人主義とは似て非なる言葉。俺は自分の半径5メートルの生活を限りなく美しくすることに執着したいし、地球にやさしくする前に半径5メートルの中にいる人間に優しくしていたい。そしてそこら先は想像力と行動力で閉塞的な個人主義から抜け出すことができると俺は思っている。
よく人から「お前は左か?」とか言われる。たぶん、ここで書いてるようなことからするとそう思う人もいるのだろうけど、俺は特定の政党の支持者ではない。俺にとっては右も左も関係ないんだ。政治や政党というよりは、人にしか期待しないから人を見てしか選ばない。もっと言えば「ツラ構え」とか。その人が左であろうが右であろうがどうでもいい。結果として右寄りの人が少ないだけで、でも、そもそも俺は日本で一番「極右」の大学で、しかも体育会の出だ。その4年間(俺は5年行ったけど)は多分フツーの人の想像の域を遙かに越えている世界で、俺はそんな中で「自分は右だ、左だ、俺はパンクだ、俺はこうだ」と決め付けてしまうのがとてつもなく窮屈で、逆に言えばとても安易なようにも思えていたのだ。スタイルや思想を決め込むのは筋が通っている一方で、筋を通せば通すほど閉塞感が増していく感覚と、他者を排除する感覚が今でも俺の中にある。右の中にも左がいれば、左の中の右もいる。パンクといいながら生命保険のセールスをしている人もいれば、公務員の中にだってパンクな人はいる。共産主義者でもなければ、資本主義者でもないし、そのどちらにも微妙にぶら下がりながら生粋のお気楽主義者や快楽主義者にも成り切れない「ただのダメ男」かもしれない。でも「何か」には焦がれるし、自分なりに想い描いてる虹だってある。暑苦しいといわれようが高血圧であろうが、あるものはある。
目に見えない巨大な力は、知らず知らずのうちに我々に重くのしかかってくる。抵抗しているうちはいいが、いつの間にか抵抗することも忘れると、いつの間にかそれは決定していて、既に決まっている。その決定を覆すのは容易ではない。正義の名の下に血を流して争う前に、ちゃんと想像力を働かせよう。全てはどこかで繋がり、そして分断されている。誰もが加担しているとまでは言わないけど、誰もが無実ではないっていうのは多分本当だ。
さっさと寝まーす。
山口 洋(HEATWAVE)ライブ情報